放送日: 2023-03-18 史跡

忘れられた石碑が語るもの――末吉・向江公園に刻まれた西南の役の記憶

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番組名:歴史の散歩道


「この石碑の前を何度も通っているのに、立ち止まって見たことはない。」
そんな人は意外と多いのではないでしょうか。
曾於市末吉町の向江公園には、戦没者を慰霊するさまざまな碑が並んでいます。その中でも、ひっそりと建つ「西南の役記念碑」は、一見すると目立たない存在です。
しかし、その石碑には、約150年前に故郷を背負って戦場へ向かった若者たちの思いと、それを後世へ伝えようとした人々の願いが刻まれていました。

曾於市末吉町向江公園内の西南の役記念碑

小さな招魂碑から始まった物語

番組では、案内者の瀬角さんとパーソナリティが向江公園を訪れ、現地を歩きながら石碑を紹介していきます。
「ここにはいろいろな墓碑や記念碑があります。その中で、一番小さいのが末吉郷の招魂碑なんですね。」

最初に建てられたのは明治時代の招魂碑でした。そこには戦没者や従軍者の名前が刻まれているものの、なぜ彼らが戦いに赴いたのか、その経緯までは記されていませんでした。
そこで西南の役から50年を迎えた昭和2年、新たに詳しい由来を残すため「西南の役記念碑」が建立されます。
高さは約3メートル。正面に刻まれた「西南之役記念碑」の文字を書いたのは、なんと西郷隆盛の長男・西郷菊次郎でした。
台湾で行政官として活躍し、京都市長も務めた人物が揮毫したことからも、この記念碑に寄せられた思いの大きさが伝わってきます。

曾於市末吉町向江公園内の西南の役 招魂碑

327人が故郷を後にした日

石碑には、当時の末吉郷から西郷軍へ従軍した人数が記されています。
その数、327人。
さらに、多くの若者が戦場で命を落としました。
瀬角さんは静かに語ります。
「100人近く亡くなるというのは、末吉郷としても相当大きな人的損害ですよね。」
家を継ぐはずだった若者、家族を支えるはずだった息子たち。その多くが帰らぬ人となりました。
パーソナリティも思わず、
「亡くなられた後、その家はどうなったのかな……。」
と問いかけます。
それに対し、
「養子を迎えたり、家そのものが途絶えてしまったところもあったでしょう。」
という言葉が返されます。
戦争の記録には数字が並びます。しかし、その数字の一つひとつの背後には、それぞれの家族の人生がありました。

曾於市末吉町向江公園内の西南の役記念碑

「記憶が消えてしまう」ことへの危機感

西南の役から50年。
生き残った従軍者たちは高齢となり、戦争を直接知る人々が少なくなっていました。
「このままでは、あの頃を知る人がいなくなってしまう。」
そんな危機感から、彼らは資金を出し合い、土地を購入し、その収益を積み立てて記念碑を建立したといいます。
つまり、この石碑は行政が造ったものではなく、生還した人々が未来へ歴史を残そうとして築いた”記憶のタイムカプセル”だったのです。
だからこそ、碑文には戦争の経緯だけでなく、人々の決意や地域の歩みまで丁寧に刻まれています。

西郷隆盛のためだけではなかった

番組では、もう一つ大切な視点が紹介されます。
「市民みんなが西郷隆盛のためだけに戦った、という見方には注意が必要です。」
西南の役は国家総動員の戦争ではありませんでした。
武士という身分の人々が、それぞれの立場や時代背景の中で”のっぴきならない戦い”として向き合った出来事だったのです。
だからこそ、この歴史を単純な英雄譚として語るのではなく、その時代を生きた人々の選択として理解することが大切だと番組は伝えています。
歴史を知ることは、過去を美化することではありません。当時の人々が何を考え、何を守ろうとしたのかを想像することなのです。

曾於市末吉町向江公園内の西南の役 鎮魂碑

石碑は、未来へ語りかけている

向江公園の西南の役記念碑は、華やかな観光名所ではありません。
けれど、その前に立てば、一つの石碑が地域の歴史を語り続けていることに気づきます。
生還した人々が「この出来事を忘れないでほしい」と願いを込めて建てた碑は、約100年近く経った今も静かにその役目を果たしています。
もし曾於市を訪れる機会があれば、ぜひ向江公園を歩き、この石碑の前で足を止めてみてください。
そこには教科書だけでは知ることのできない、地域に生きた人々の物語があります。そして、歴史を未来へ伝えることの大切さを、石碑が今も静かに教えてくれるはずです。

 


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