港を持つ者は、歴史を動かす――禰寝氏累代の墓と三派連合、そして貿易の記憶
文字起こし・アーカイブ
番組名:歴史の散歩道
「墓を見れば、その一族がどんな歴史を歩んできたのか分かる」
そんな言葉を胸に、今回は南大隅町川南北の口にある「禰寝氏累代の墓」を訪ねました。
大隅の豪族として、この地域で勢力を持っていた禰寝氏。その歴史をたどっていくと、島津氏との対立、肝付氏や垂水の伊地知氏との関係、さらには南蛮貿易や京都との文化交流まで、驚くほど広い世界が見えてきます。

墓地の奥に残る、禰寝氏の記憶
禰寝氏累代の墓は、北之口自治公民館の隣にある墓地の一番奥にあります。
現地で話を聞いた大隅史談会の瀬角龍平さんによると、この一帯にはかつて寺院に関係する施設があり、その端に禰寝氏の墓域があったと考えられるそうです。
「ここに禰寝氏の墓域があります。5メートル四方くらいだから、そんなに大きい墓域じゃないですね」
そこに残るのは、壮大な一基の墓ではありません。五輪塔など、歴代の墓が寄せ墓のような形になって残っています。
そして興味深いのが、その墓の石です。
使われているのは「山川石」。以前の番組でも紹介したように、溶結凝灰岩で、黄色っぽい色合いが特徴です。当時、比較的位の高い人物の墓などに使われたとされる石です。
墓石の材質一つを見ても、そこに眠る人々の身分や時代背景を想像することができます。

禰寝氏をめぐる、複雑な勢力関係
禰寝氏は、もともと大隅で勢力を伸ばした豪族でした。しかし、島津氏が薩摩から大隅へと勢力を広げるにつれ、その関係は大きく変化していきます。
島津氏との対立だけではありません。
禰寝氏、肝付氏、垂水の伊地知氏は、婚姻などを通じて複雑な姻戚関係を結んでいました。そして、島津氏の勢力拡大に対抗するため、三者が連合する場面もあったといいます。
ところが、歴史は単純ではありません。
「手を組む時は組むんですけど、それ以外だったら、やっぱりお互い対立し合うっていうのがあるってことですよね」
パーソナリティの言葉に、瀬角さんも「そうなんですよね」と応じます。
南北朝時代には、禰寝氏と肝付氏が北朝方と南朝方に分かれていた時期もあったそうです。
同じ地域に暮らし、縁戚関係を結びながら、ときには敵味方に分かれる――。
「だから歴史って本当に面白いですよね」
まさに、その一言に尽きます。

禰寝を繁栄させた「港」の力
さらに話は、意外な方向へ進みます。
禰寝には大きな川があり、かつてはその川に南蛮船をつないだという話が残っています。そこには船をつなぐための大きなクスノキもあったといいます。
瀬角さんは、禰寝について「南蛮貿易も、表だった貿易と密貿易もあったというふうに聞いてます」と語ります。
もし港を通じて貿易が行われていたなら、そこには人だけでなく、物や情報、そして文化も入ってきます。
「港を持っているということは、日本の都ともつながるんですよ。京、大阪、江戸ですから」
港は単なる船着き場ではありません。
遠くの世界と地域をつなぐ「窓」だったのです。
京都の文化が大隅へ
そのことを裏付けるような話として紹介されたのが、京都から垂水へやって来た近衛信助のエピソードです。
その際、垂水の伊地知氏と関係のある女性が、禰寝氏の出身だったといいます。
京都の公家がその女性と話をしたところ、「こんな田舎に、こういう教養のある女の人がいるのは珍しい」と驚いたという記録が残っているそうです。
源氏物語を貸したりするなど、都の文化に通じた女性が大隅にいた。
そこには、港を通じて文化が流れ込んできた地域ならではの姿が見えてきます。
禰寝、肝付、垂水――。
今の地図だけを見れば、それぞれ別の地域に見えます。しかし歴史をたどれば、人と人、家と家、地域と地域が複雑につながっています。
墓から始まる歴史散歩
今回訪ねた禰寝氏累代の墓は、決して大きく目立つ史跡ではありません。
けれど、その墓を入り口にして歴史をたどると、豪族の興亡、三派連合、島津氏との攻防、婚姻によるつながり、南蛮貿易、そして京都から伝わった文化まで、一気に世界が広がります。
「歴史を知り、それを後世に伝えていくことは大切なことだと思います」
番組の最後の言葉が、今回の取材を締めくくります。
近くにある小さな墓や石碑も、ただ通り過ぎるのではなく、「ここには、どんな人が眠っているんだろう?」と立ち止まってみる。
そこから、知らなかった地域の歴史が始まるかもしれません。
次の休日には、身近な史跡を一つ訪ねてみませんか。そこには、教科書には載っていない「地域の歴史」が、静かに残っているはずです。

—TAGS—
禰寝氏,南大隅町,禰寝,大隅の歴史,南蛮貿易,三派連合,大隅史跡,歴史の散歩道