時代区分 : 江戸時代

櫻島焼亡塔(さくらじましょうぼうとう) ~垂水市海潟・菅原神社本殿西側

“ 七日七夜の闇を伝える、安永8年(1779年)の桜島大噴火の記憶 ”

映像・音声資料

【解説・記録資料】

1. 概要

垂水市海潟菅原神社本殿西側に所在する供養塔で、安永8年(1779)の桜島大噴火による犠牲者を弔うため、安永10年(1781)に建立された災害供養碑であり、噴火災害を伝える貴重な歴史資料とされる。


2. 歴史的経緯

江戸時代(安永年間)

安永8年(1779)10月1日、桜島東側で大規模な噴火が発生した。噴煙は空高く立ち上り、大量の降灰と噴石により「七日七夜、昼夜の区別がつかないほど暗くなった」と碑文や『櫻島燃記』に記録されている。
噴火では溶岩や噴石によって古里・有村・脇・黒神などの集落が大きな被害を受け、多数の死者が発生した。垂水側では救助船が出されたものの、海面は軽石で埋め尽くされ、船が近づけない状況となった。また、避難民の救護では、一度に食事を与えず粥を少量ずつ食べさせながら回復を図ったことが記録されており、災害救護の実例としても注目される。
噴火から2年後の安永10年(1781)5月4日、当時の曹洞宗松岳寺境内に焼亡塔が建立された。碑文には、垂水島津家の菩提寺である心翁寺をはじめ、領内の九つの末寺や支院が海潟の浜辺で施餓鬼会を執り行い、犠牲者の冥福を祈ったことが刻まれている。碑文の撰文は後に文行館の儒学者となる市川鶴鳴によるとされる。

近代~現代

松岳寺は後に廃寺となり、戦後には跡地へ垂水町立協和中学校が建設されたことなどから、焼亡塔は現在の海潟・菅原神社境内へ移設された。現在も碑面には摩滅が見られるものの、安永噴火を伝える数少ない石碑資料として保存されている。碑文は噴火当時の被害や供養の様子を伝える一次史料として重要視され、防災の歴史を今に伝える文化財的価値を有するとされる。


3. 現在の状況

焼亡塔は鹿児島県垂水市海潟の菅原神社本殿西側に保存されている。碑面には経年による摩耗や欠損が認められるが、解説板が設置され、建立の経緯や碑文の内容を知ることができる。見どころは、安永噴火の被害状況や犠牲者供養の経緯を刻んだ碑文に加え、災害の記憶を現代へ伝える防災遺産としての価値である。周辺には錦江湾越しに桜島を望むことができ、噴火の歴史と地形をあわせて理解できる史跡となっている。


4. 関連人物・関連史跡

• 伊地知季安(『櫻島燃記』の著者)
• 市川鶴鳴(焼亡塔碑文の撰文者)
• 心翁寺(垂水島津家の菩提寺)
• 松岳寺(焼亡塔建立当初の所在地)
• 菅原神社(現在の焼亡塔所在地)


5. 参考・出典メモ

• FROM70取材班現地調査(2025年7月22日)
• 大隅史談会 瀬角龍平氏
• 『櫻島燃記』(伊地知季安著)
• 垂水市教育委員会設置解説板(令和2年3月)
• 『垂水村郷土誌』附録『櫻島燃記』翻刻資料
• 『石碑が語る大隅の歴史』 著者:上園正人 瀬角龍平
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