放送日: 2023-05-20 史跡

岩山を貫いた先人たちの執念──350年以上、人々の暮らしを支え続ける「両根占用水路」の物語

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番組名:歴史の散歩道


「どうして、こんな場所に田んぼや畑が広がっているのだろう?」
鹿児島県の錦江町と南大隅町を訪れると、豊かな田園風景が目に飛び込んできます。しかし、かつてこの地域は水不足に悩まされる痩せた土地でした。その運命を変えたのが、江戸時代に薩摩藩が挑んだ大土木事業「両根占用水路」です。
今回は、錦江町大根占城元の河上神社近くに建つ「新溝記(しんこうき)」の石碑を訪ね、その壮大な歴史をたどります。

両根占用水路-「新溝記(しんこうき)」の石碑

一文字ずつ読み解いた石碑が語る真実

番組では、大隅史談会の瀬角龍平さんが石碑を前に語ります。
「町史には読み下し文は載っているんですが、原文がなかったんです。そこで、一文字一文字掘り起こしながら読んでいきました。」
風化が進んだ石碑を丁寧に読み解く作業。その先には、350年以上前に生きた人々の苦労と希望が刻まれていました。
当初、この地域では神川から水を引こうと試みましたが、水量が足りず十分な成果は得られませんでした。そこで人々は、さらに大胆な挑戦を決断します。
それは、山を越え、岩盤を掘り抜き、遠く雄川の水を引くという前例のない工事でした。

両根占用水路-説明版

「山をうがち、水を通す」という決断

瀬角さんは石碑の内容を紹介しながら、こう話します。
「山岳をうがち、水を通し、およそ8キロにわたる用水路を築いた。そして、この原野が田園へと変わった、と書かれています。」
現地を歩くと、その言葉が決して大げさではないことが分かります。
用水路は平坦な場所ばかりではありません。山があり、谷があり、急斜面が続く難所ばかりです。
南大隅町教育委員会の説明にも「トンネルを掘り、堤を築く難工事」と記されています。
パーソナリティのあやみさんも、
「すごくいろんな知恵を絞って、町の人たちの力を借りながら工事を進めたんでしょうね。」
と、その苦労に思いを寄せます。

両根占用水路-雄川の取水口

岩を掘り抜いた先人たちの技術と情熱

実際にトンネル跡を見学した出演者たちは、その規模に驚きを隠せませんでした。
「よく掘ったな、とびっくりしました。しかも岩です。岩を掘って穴を開け、水を通したんです。」
現在なら重機で施工できる工事も、当時はすべて人の手による作業でした。
岩を貫いて造られた水路は約2,100メートル。さらに水路全体では約6,300メートル、合わせて約8キロにも及びます。
しかも、この大工事を完成させるまでに要した年月は約8年。
「思ったより短い期間ですよね。」
という番組内の言葉どおり、現代の感覚でも驚くべき速さです。それだけ多くの人が力を合わせ、強い使命感を持って取り組んだのでしょう。

両根占用水路-現在も使われている用水路

今も地域を潤し続ける命の水

この工事が完成したのは1676年。
石碑も同じ年に建立されました。
それは単なる完成記念ではありません。
「こんな苦労を昔の人はやったんだ、と後世の人にも知ってほしい。そして、その志に感激して『自分も頑張ろう』と思う人が出てきてほしい。」
瀬角さんは石碑に込められた願いをそう読み取ります。
350年以上が過ぎた今でも、この用水路は錦江町と南大隅町の田畑を潤し、人々の暮らしを支えています。
当時の技術者や地域の人々が未来を信じて築いた「命の水」は、時代を超えて受け継がれているのです。
私たちは普段、水が流れることを当たり前のように感じています。しかし、その当たり前の裏には、想像を超える努力と知恵、そして未来への願いがありました。
もし錦江町を訪れる機会があれば、ぜひ川上神社近くの「新溝記」の石碑を訪ねてみてください。
一見すると静かな石碑ですが、その文字の一つひとつには、岩山を掘り抜き、地域の未来を切り拓いた先人たちの熱い想いが刻まれています。
歴史は教科書の中だけではありません。現地に立ち、その景色を眺めることで、先人たちの挑戦がぐっと身近に感じられるはずです。

両根占用水路-地域を潤し続ける「命の水」

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