昭和の暮らしを支えた五右衛門風呂――薪と井戸水で沸かした昔のお風呂
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番組名:はるみ&かずこの昭和話
■「昔のお風呂はどんなものだった?」
昭和の暮らしを振り返ると、現在とは大きく異なる生活風景が見えてきます。水道やガスが今ほど普及していなかった時代、毎日の暮らしには多くの手間が必要でした。
「はるみ&かずこの昭和話」では、はるみさんが子どもの頃の生活を振り返り、昔のお風呂について語っています。そこで登場するのが「五右衛門風呂」です。
現在では昔話や時代劇の中で見ることが多くなった五右衛門風呂ですが、昭和の農村では実際に家庭で使われていました。はるみさんの話からは、五右衛門風呂の仕組みだけでなく、薪や井戸水を使って暮らしていた当時の生活が浮かび上がります。
■五右衛門風呂はどんなお風呂だったのか
鋳物でできた昔のお風呂
はるみさんによると、昔のお風呂は「五右衛門風呂」と呼ばれ、鉄の鋳物で作られていました。現在の浴槽は表面が塗装され、タイルなどで仕上げられていますが、昔の五右衛門風呂は鋳物そのものだったため、内側はザラザラした感触だったそうです。
当時、鋳物の風呂釜は高価なもので、簡単に購入できるものではありませんでした。はるみさんの記憶では、当時の価格は4~5円ほどだったと語られています。金額そのものは現在の感覚とは大きく異なりますが、それだけ家庭にとって大きな買い物だったことがうかがえます。
お風呂を沸かす燃料は薪だけではなかった
五右衛門風呂を沸かすためには、下から火を焚く必要がありました。
しかし、当時はガスがなかったため、薪は風呂だけに使うものではありません。ご飯や味噌汁を作る際にも薪を燃料として使っていました。
そのため、薪を十分に使えるのは比較的裕福な家庭だったとはるみさんは振り返ります。一般の農家では、稲わらや粟の茎、大豆の茎、そば殻など、農作業から出る身近な材料も燃料として利用していました。農家の暮らしでは、作物を食料として利用するだけでなく、その副産物まで生活の中で無駄なく活用していたのです。
井戸から水をくみ、家族で入ったお風呂
現在は蛇口をひねれば水が出て、給湯設備があればすぐにお湯を使えます。しかし、はるみさんが子どもの頃はそうではありませんでした。
水は井戸からくみ上げ、家まで運んでお風呂に使っていました。お風呂を沸かすことも簡単ではなく、水を用意し、燃料を集め、火を焚いて、ようやく入浴できたのです。
「もらい風呂」という暮らし
はるみさんの家では、最初から風呂を持っていたわけではなく、「もらい風呂」に行った経験も語られています。
遅い時間になると、子どもを連れて近所の家へ風呂をもらいに行き、子どもが浴槽の中で眠ってしまったこともあったそうです。
さらに、子どもが風呂に入れるのは一週間に一度ほど。場合によっては一週間から十日ほど入浴できないこともあったといいます。現在では考えにくい生活ですが、それが当時の日常の一部でした。
■五右衛門風呂から見える昭和の生活
五右衛門風呂は、単なる昔のお風呂ではありません。
そこには、井戸から水をくみ、農作物の茎やわらを燃料にし、家族や近所の人たちと助け合いながら暮らしていた昭和の生活があります。
現在は、蛇口をひねれば水が出て、ボタン一つでお風呂を沸かせます。その便利さは、昔の人々が一つひとつ手間をかけて生活を支えていた時代があったからこそ、より実感できるものなのかもしれません。
五右衛門風呂の思い出は、昔のお風呂の話であると同時に、昭和の農村の暮らしや、人と人とのつながりを伝える貴重な記憶でもあります。
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