放送日: 2023-01-21 史跡

火山に故郷を奪われても、人は希望をつないだ――鹿屋市花里町に残る「桜島移民」の物語

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番組名:歴史の散歩道


もし、ある日突然、故郷を離れなければならなくなったら、あなたは何を持って逃げるでしょうか。
お金でしょうか。それとも家族でしょうか。あるいは、代々受け継いできた仏様でしょうか。
鹿屋市花里町には、1914年(大正3年)の桜島大噴火によって故郷を失い、新たな人生を歩み始めた人々の歴史が静かに息づいています。
今回の「歴史の散歩道」では、大隅史談会の瀬角龍平さんへの取材を通して、100年以上前にこの地へ移り住んだ人々の知られざる物語をたどりました。

鹿屋市花里町 桜島移民祖先之碑

大噴火が奪った故郷

1914年1月12日、桜島は20世紀の日本最大規模ともいわれる大噴火を起こしました。
溶岩流が集落を飲み込み、大量の火山灰が生活を破壊します。噴火は1年以上続き、多くの人が住み慣れた土地を離れる決断を迫られました。
瀬角さんは花里町についてこう語ります。
「ここ花里という集落は、大正3年の桜島大爆発で避難した人たちが、新たに定住した集落の一つなんです。」
鹿児島県は移住先をあっせんし、大隅半島各地に新しい集落が誕生しました。その一つが花里町で、約568人もの人々が新天地として暮らし始めたといいます。

花里に残る、故郷への想い

花里公民館の一角には「桜島移民祖先之碑」が建っています。
瀬角さんは石碑を見ながら、あることに気づきました。
「この石、形がいびつでしょう。おそらく桜島の溶岩を持ってきたんでしょうね。」
故郷を離れても、その土地の石を運び、新しい村の中心に据える。
そこには、「故郷を忘れない」という強い思いが込められていたのでしょう。
さらに、移住の際に桜島から持ち出した小さな仏像も今なお大切に守られているそうです。
逃げるとき、人々は家財道具を置いてきました。それでも、ご先祖や信仰だけは手放さなかったのです。

鹿屋市花里町 桜島移民祖先之碑

水との闘い、新天地での暮らし

しかし、新しい生活は決して楽ではありませんでした。
瀬角さんが、最も苦労したであろうと語るのが「水」の問題です。
花里には十分な水源がなく、子どもたちは毎日遠くまで水を汲みに行かなければなりませんでした。
取材で話を聞いた人も、「子どもの頃、一番きつかった仕事は水汲みだった」と振り返ったそうです。
やがて水道は整備されますが、それまでの生活は想像以上に厳しいものだったのでしょう。
それでも人々は畑を耕し、新しい村を築いていきました。

忘れられない「あの日」の記憶

番組の中で特に印象的だったのが、噴火当日のエピソードです。
当時、桜島の人々は薪を船で鹿児島市へ運び、生活を支えていました。
その日も薪を売り、そのお金で生活用品を買って帰る途中で大噴火が始まります。
家財も何も持ち出せず、船で命からがら逃げ帰るしかありませんでした。
その話を聞いたある女性は、祖母からこんな話を聞いていたそうです。
「お金をそのまま持って帰ればよかったのに、品物に替えてしまったから、全部灰になってしまった。」
たった一言ですが、その悔しさと喪失感が胸に迫ります。
災害は家だけでなく、人々の積み重ねてきた暮らしや希望まで一瞬で奪ってしまうのです。

歴史は、語り継がなければ消えてしまう

番組の最後に、パーソナリティのあやみさんはこんな感想を語っていました。
「桜島が陸続きになったことは知っていましたが、その後、人々がどこへ移り住み、どう暮らしたのかまでは考えたことがありませんでした。」
実際、花里の石碑は公民館の片隅にひっそりと建ち、少し寂しげな印象だったそうです。
100年を超える年月が流れ、当時を知る人はほとんどいません。
だからこそ、こうした場所を訪ね、耳を傾け、語り継ぐことには大きな意味があります。
歴史は教科書の中だけではありません。
鹿屋市花里町を歩けば、故郷を失いながらも未来を切り開いた人々の足跡が今も静かに残っています。
もし近くを訪れる機会があれば、「桜島移民祖先之碑」の前で少し立ち止まってみてください。
そこには、災害を乗り越え、希望をつないだ先人たちの物語が、今も変わらず語りかけてくれるはずです。

鹿屋市花里町

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